子供の頃の私
私は1951年の12月、三姉妹の末娘として、この世に生を受けた(まだ戦後6年の日本だった)。
母は私を身籠った妊娠末期の頃に、ひどい妊娠中毒症になってしまった。家族皆の判断でお腹の子より母親の命を優先と考え、10ヵ月に満たない胎児の私を予定日より早く出産させることにしたそうだ。
小さく産まれて来た私。また妊娠中毒だったせいなのか、母のお乳は思うように出なかったと言う。母は私の身体があまり丈夫でなかったのは、自分のせいだと私が大人になっても何度も繰り返し言っていた。
確かに私は小学校に入ってからも、しょっちゅう熱を出していた。そんな私は2階の自分の部屋で寝る事よりも、家族の目が届く中庭に面した、その部屋で過ごすことが多かった。
高熱を出すと何も食べられなくなり、よくリンゴの擦りおろした物を食べさせてもらった。そんな時の遊びは布団の中だけ、手の平に薬を包むオブラートをのせて熱でクニャクニャと動くのを見て楽しんだ。
また私が布団ごと床に沈んでいってしまうような、奇妙な感覚に襲われたりした事も、不思議と未だに思い出すことがある。
2、3歳の頃と思うが、左脚の股関節が先天性の脱臼であることが判明し、ギプスを付けて1年間ほど、歩くことができなかった。その頃のギプスは、現代では考えられない石膏のギプスだった。
初めてギプスを付けられた日のことは、幼かった私でも忘れられない出来事だったのか、鮮明に覚えている。
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