子供の頃の私

広い静かな病院の一室で、ガラスのように冷たいベッドに寝かされ、手足を固定された。

その日は風の強い夕方で、病院の窓ガラスがカタカタと音を立てていたことや、その窓に映る木の葉がユッサユッサと揺れていたこと。そして厚い石膏のガーゼで私の右脚以外の下半身が全て覆われたこと。幼かった私にとっては恐怖だったと思うが、私は泣かなかった。

そのことを「この子は強い子だ」と医師がとっても褒めてくれたことも覚えている。その日から、私は一人で自由に歩くことはできなくなった。

父はすぐに知り合いの建具屋さんに私専用の椅子を頼んでくれた。重いギプスは、布団に入ると寝返りなどは全くできなかった。母はそんな私を不憫に思い、自分も一晩中寝返りをせずに寝たと言っていた。

子供だった私にとっては、不思議なほどに何もかも事実を受け入れていて、断片的には色んなことを思い出すが、ネガティブな感情などは、全くないのである。

今は、石膏の塊のような私を背負ってくれた父や母はどんな思いだったか。苦労ばかりかけた私だったと、感謝しかないのである。

歩けなかった私、家で過ごしていたからこそ発見したことがたくさんあった。

初夏の中庭の池で咲く、美しいピンク色の睡蓮が花開く時に「ぽん」と微かな音を立てること。欅の木には、いつもたくさんの蝉が止まりミンミンと鳴いているのを見つけ、蝉は欅の木が好きなことも分かった。

全てが私だけの大切な発見であった。

また本が好きになったのも、母と一緒にたくさんの本を読んだからと思う。病院の帰りには、いつも両親と一緒に呑龍さま(子育てで親しまれていた大光院という寺院)に行った。

そこにいる孔雀は、昼の12時に必ず羽根を広げて私に見せてくれた。孔雀は12時になると羽根を広げるものと大人になるまで思っていたが、実は近くの会社の正午を知らせるサイレンの音に驚き羽根を広げていたことを、最近知った私だった。

人はこの世に生を受け生きて行く中で、一瞬一瞬は過ぎ去って行くものだが、全身の細胞や脳には、全てが刻まれて『自分』が作られていくのだと思う。

嬉しい思い、楽しい思い、悲しい思い、辛い思い、それらの経験全てが自分を作る材料になり、人格形成されていくのだと思った。