【前回の記事を読む】息子の元同級生の母親が、急に家に来て「言いにくいんだけど、お金貸して欲しい」。数分前スーパーで偶然会っただけなのに……

青春時代の別れ

70年代、この時代の高校には政治的思想を持つ教師が、各高校に多く存在した。私の通っていたT市の高校は進学校だったにも関わらず、教師達は受験生である私達を対象に、政治的な学習会を開いていた。

私もその学習会にKの誘いで参加するようになっていった。三姉妹の末っ子であまり身体も丈夫でなかった私は、政治のことなど全く考えたことも、触れたこともない世界だった。

教師らの話す民主主義や資本主義、ブルジョワ、プロレタリア。これらの単語は、過去の私の中では聞いたこともないものばかりだった。何もかもが刺激的で目新しいことであった。私は何も分からないまま、そんな世界にのめり込んで行ったのである。

この頃は60年安保後に言われ始めた若者の三無主義、無気力、無関心、無責任は罪悪である、社会は私達の手で作っていくのだ、まだ親のスネかじりの身でありながら、社会変革をする責務があるなどと、そんな事を討論し合っていたのだった。

彼らは皆の事を「同志」と呼んだ。大学に入る頃は学生運動は益々盛んになっていた。Kは70年安保闘争などのデモなどにも多く加わっていた。その最前列でメガホンを片手にシュプレヒコールするKを見て、私はその時代を背負う英雄に見えた。

彼とのお付き合いも、そんな社会を背景に続いていた。当時は何も言わなかった両親だが政治活動に傾いていった私を、凄く心配しながら見守っていてくれたようだ。

あるお正月、Kと会う約束をした。両親が成人式に揃えてくれた振袖を着て、約束の場所で待った。成人式には高熱を出し、着ることができなかった初おろしの振袖を、母に着せて貰った。

私の振袖姿を見て彼は何と言うだろか?とワクワクしながら私は待っていた。時間になってもKは約束の場所に現れなかった。何だか胸騒ぎがした。

結局Kはお正月だと言うのに実家にも帰らず、アルバイト先の食堂の賄いをしていた5歳も年上のN子という女性のアパートに転がり込んでいた。後からアルバイト先の方から聞いたことだったが、その女性は会社に辞表を出していて、Kもアルバイトを辞めていた。