●父の考え
父は読み書きそろばんができれば、社会で困ることはないと考えていた。従って、科学、音楽、数学、文化とか教養に繋がる勉強は必要ないと考えていたようだ。家で将棋をしていたら、こっぴどく叱られたこともある。賭け事とか投資とか保証人になることは特に警戒をしていた。
父は簿記が分からずに困っていたので、私は中学校で簿記を習い、真面目に勉強したので、簿記の原理原則はいまだによく覚えている。会社経営に必要な経営分析に中学校の授業が役に立った。当時は塾といえばそろばん塾で(学習塾はない)小学校の高学年時から習いに行かされた。
大家族主義の方針に従えば住み易いが、異なる考えで生きようとすると、これほどやり難い環境はない。育てて貰った御恩は感じるが、私の人生に対する考え方が家族と異なる方向に進んだので、小学校5年生の時から、父とは戦ってきた。普段から父とのコミュニケーションはない。
父は雄弁な人ではあるが人の話を聞かない。話し合えば原理原則の部分で激突してしまうので、私から話す気はない。
実績で示す他はない。勝敗の結果が出るまで数年の時間が必要となる。私が成果を見せ付けると、父は手の平を返したように嬉しがり、態度を変える。あれだけ反対したのに、父は節操もなく主義主張を簡単に変更する。
これは父の処世術かも知れないが、私には理解できなかった。勿論、死ぬまで反対されても困るので、変更してくれた方が有難い。
【前回の記事を読む】戦争と終戦後の混乱期を生き抜いた両親。当時は「産めよ、増やせよ」の時代で両親ともに各々7人兄弟の農家の長男と長女
【イチオシ記事】「気がつくべきだった」アプリで知り合った男を信じた結果…
【注目記事】四十歳を過ぎてもマイホームも持たない団地妻になっているとは思わなかった…想像していたのは左ハンドルの高級車に乗って名門小学校に子供を送り迎えしている自分だった