生きるか死ぬかの覚悟をもって発する一声を、僕は理解できるような気がする。そういう「道」が剣道ならば、僕もやってみたいとさえ思う。

もしユミが男だったら、僕とは違う種類の人間だから決して親しくはなれないだろうと思う。

同じ言葉でも、女性のユミが発した言葉なら何かしら重要な意味が込められているかもしれないと、このときそう思った。

七徳堂の前の坂を上がり切ると、右側に医学部本館がある。建物に沿って二回右に曲がると、医学部本館の正面を通っていわゆる合格通り、テレビニュースで合格の胴上げが見られる通りに出る。

左側の建物が総合図書館だ。図書館の側面に沿ってまっすぐ歩き、建物の向こうを左に折れれば図書館の正面に出る。安田講堂にも匹敵するほど荘厳なゴシック風の造りで、十段の石造りの大階段を有する。

夏休みに入る少し前から、正確に言うと生化学の中間試験が終わった六月末から今のアルバイトを始めるまでの二週間、僕はほとんど毎日、ここに入り浸りだったのだ。

理由は明らかだった。剣道部で晴れ晴れと青春を謳歌している赤嶺が九十四点で、いろいろ考えながら生きている僕が六十二点だったことだ。

二年間の教養課程から専門課程に進学するために必須の正式な試験ではなく、教員が独自の目的をもって行ういわば非公式のテストだった。

終了直後の教室で「難しかったな」と言った僕に、赤嶺は栃木弁で「そうけ?」と語尾を上げて短い返事をした。

「あれが難しかったのか?」と言われて、心底、僕は参った。

教養課程から専門課程に進学する際、希望する専門学部には二年生前期までの定期試験の成績順に進学できる。

つまり非公式のこのテストの時点で、最難関の医学部に進める可能性はほぼゼロだということを思い知らされたのだった。自分はこの大学では医者になれない、と悟った瞬間だ。

僕は医者になるという夢と東大に行くという夢を同時に実現できると漠然と思っていた。生まれてからこの方、達成できなかったことはなかったからだ。

この試験の後、出欠を取るもの以外はほとんど授業に出ず、図書館に入り浸って本を読み漁ったというわけだ。

「ヒロくん」と、ユミが呼んだ。

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