まだ一歳ちょっとの幼子を連れて、見ず知らずの土地で暮らすのはどんなにか心細いであろう。しかも亭主は十年勤めた会社を辞めて、あちらで仕事を探すという。
それでもいつも前向きに「どうにかなる」と思ってくれる。結婚してからわかったのだが、楽天的な性格の妻をもらってよかったと、胸をなでおろした次第である。
もちろん母は、生まれ故郷に帰れるとなれば文句などない。多くの親族がいる懐かしい故郷。苦労をし続けた母が晩年、やっと故郷に戻り、そこを終の棲家にできれば、それもまた親孝行である。私も母も、そのときはそう思ったのである。
退職二週間前、職場の同僚四人とホルモン道場に行った。酒を飲みながら話がはずむ。
「南(ナン)ちゃん熊本帰って何をやるの?」突然久保が質問する。
「うーん、今のところ決まってないんだよ」
「これからS.K.Kの商売がうまくいくと思うけどな……」
「ええそれって何なの?」
「SEX・健康・教育産業のことだよ」
中井が「健康食品なんてこれから先面白いかもね」。
角田は「成功したら俺を呼んでよ」。
「何言ってるんだ、計画も立てていないしたぶん無理だよ」ととりあえず答えておいた。
千葉工場でも、さまざまな出会いがあった。特に結婚式で仲人を務めてくれた末永総作業長、司会をしてくれた小林作業長は、共に工業高校の出身で化学に詳しく、多くのことを教えてもらえたことは感謝である。
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