第二章 独身時代、青春を謳歌する―日本復興の熱気の中で

新婚旅行は故郷の熊本へ

母の同居で私が助かったのは、なんと言っても食事である。再び母と暮らすようになってから、私はすっかり母の料理、故郷の味に慣れてしまった。

そのため結婚した当初、妻の手料理を「こんなものは食えない」「マズイ」と言ってしまったのだが、妻に言わせれば関東と九州では料理の味付けがまったく違うという。

妻は末っ子で甘やかされて育ったから、料理が下手なのだと思っていたが、彼女にもそれなりの言い分はあったのだ。

母は以前、「民宿をやって、お客さんに自分の料理を食べてもらうのが夢」と言っていたほどの料理好き。貧しい頃はそれほど豊かな食卓ではなかったけれど、それでも母の作る料理はなんでも美味しかった。

千葉に来てからは、働く息子に美味しいものを食べさせたいという思いからか、いつも手をかけた料理を用意してくれていた。

結婚当初は、母や妹の生活を支えていたこともあり、私たちは共働き夫婦であった。

妻は仕事をしながらも、こうした母の思いを汲んで、文句も言わずに母に料理を教わって、阿南の家の味を覚えてくれた。妻には感謝をしたい。

また、私たち夫婦が結婚した頃には、家族にもう一つの良い話があった。この当時、上の妹が私たち家族を頼って関東に出てきていて、私たちの近くに住んでいたのだが、新しい家を建ててくれた棟梁の息子に見初められ、なんと結婚が決まったのである。

めでたいことは続くものである。

揺らぎはじめた心

同居していた下の妹も、無事に高校の三年間を過ごし、卒業の時期を迎えた。母に似てしっかり者の妹だったから、将来に関しては自分で決めるだろうと、それほど心配はしていなかった。

あるとき、仕事中に会社の人事部から私宛てに電話が入った。何事かと思って受話器を取って話を聞いて驚いた。

「キミの妹さんがうちの会社を受けたのを知っているか?」

寝耳に水である。

「いや、知りません」

「そうか、阿南という名字は珍しいからな。間違いないみたいだぞ」