帰って妹に聞いてみると、やはり川崎製鉄を受けたという。そして見事に採用試験に合格してくれたのだ。

妹の高校の卒業式には親代わりとして出席した。妹に高校を卒業させてやれたことは、兄として一つの責任を果たしたという思いも強かった。

春になり、兄妹で一緒の千葉工場で働くことになった。とは言っても、工場の敷地はとても広い。事務職で採用された妹は正門近くの建物で働いていたが、私はそこから二キロくらい先の建物だったから、敷地内で顔を合わせることも、仕事上の接点も、ほとんどなかった。

良き相談相手にはなれなかったが、それでも兄が行っている会社を妹が選んでくれたことは、やはりうれしいものだった。

私たちが結婚して一年後に、長女の朋美が生まれた。妹の卒業・就職で肩の荷が一つ下りたと思ったが、また家族の長としての新しい責任ができた。ところが、「さぁ、これからもがんばって、定年までこの会社で働くぞ」という思いにはならなかった。

それにはいくつかの理由があったのだが、もっとも大きな理由は、川鉄で働き続けることが、どうしても息苦しかったのだ。なぜか――。

大企業というのは、強固な組織として成り立っている。年功序列もあったが、それ以上に大きく立ちはだかっていたのは学歴である。たとえ十年、二十年働いても、その事実はずっと変わらない。どんなに仕事をがんばろうと、その壁を越えることはできないのだ。

たとえばこんなことがあった。私がまだ会社の寮に入っていた頃のことであるが、用があって知り合いの別の寮へ行ったことがある。そこは技術職の社員が入っている寮だったのだが、私の入っている寮とはまったく違っていた。

建物は新しくきれいで、各部屋にはエアコンが付いていた。私たちは夏の暑い時期は窓を開け放って、扇風機を回してふうふう言っていた。それが夏の暮らしだと思っていた。同じ社員であっても、こんなにも待遇が違うものかと驚くとともに悔しさが募った。

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