「それよりずっと以前のローマオリンピックでドーピングによる死亡事故が起き、その後、サッカーや自転車競技でも相次いで死亡事故が起きたので、一九六四年の東京オリンピックのときに初めてドーピング違反という言葉が公式の議題に上り、次のグルノーブル冬季オリンピックとメキシコオリンピックから違反が取り締まられるようになったのよ」
「ふーん。オリンピックに行く人の話でしょ」
「違うわよ。国体だってそう。違反を問われる薬も行為も毎年変わっているし、検査が行われる競技会だって少しずつ広がりを見せているの。
スポーツの公平性のためだったり、死亡事故のようなものから選手を守るためだったりするから、検査対象にならないところでも基本的にはダメなのよ」
「お父さんだってゴルフをするけれど、普通に血圧の薬を飲んでいるわ」
「お父さんのゴルフと私の水泳を一緒にしないで。風邪薬の中にも咳止めやら気管支拡張剤やら、いろいろな種類の薬に違反物質が入っているから、何でも飲むというわけにはいかないの」
「そんな不自由な肺炎にでもなったらどうするの? ちゃんと飲んでおきなさい」
母の心配は痛いほど分かる。しかし、相談をする人がそばにいるから安心するようにと話した。
「今はね、私はただドーピング違反になることをしないようにということだけに気をつけていたらいいけれど、もう少しランキング順位が上がれば、検査対象者登録リストに登録されて、検査対象登録アスリートはRTPAと呼ばれ、二十四時間、三百六十五日、日本アンチ・ドーピング機構、通称JADAに居場所を登録しなければいけないのよ。
アスリートは皆、ドーピング違反をしてはいけないのだけれど、特にトップアスリートは競技会外でも常に検査対象になっているの。
DCOと呼ばれるドーピングコントロールオフィサーがそこにいるかどうか確認に来て、競技会外検査が行われるの。競技会以外の時間でも隠れて違反行為をしていませんという意味ね。
私もあとちょっとでそういう立場になるの。力が付けばという話だけれど。不自由ではあるけど、トップアスリートの証だから、そう呼ばれることは一つの憧れよね」
「不自由になることが憧れねぇ」
愛莉には母がちゃんと理解したとは思えなかった。
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