また、ヒッタイトとミケーネの支配者の間の外交文書が、トルコ中部のボガズキョイにあるヒッタイトの首都の文書に残されています。

この時代には、ミケーネの「アトレウスの宝庫」やボイオティア地方のオルコメノスの「ミニュアスの宝庫」など、立派な建造物が残っていますが、要塞や宮殿の建設が優先されたことは明らかです。

ミケーネ、ティリンス、ミディア、アテネ、グラなどには巨大な周壁が建造されました。脅威がなければ、このような莫大な資源投入は意味をなしませんが、要塞は守るだけでなく印象づけることも目的としていたことは間違いないでしょう。

また、ミケーネ、ティリンス、ピュロス、テーベで宮殿が発掘されていますが、これらは王の住居であると同時に行政の中心地でもありました。

ミケーネ時代の線文字B(アルファベット以前に使用されたギリシア文字)で書かれた粘土板には、農産物の形で宮殿に納められた税金が記録されています。

この税金は、青銅器、織物、香水、その他の贅沢品を製造する労働力を支えるために使用されました。

ピュロスの王がメッセニア全土を支配していたようですが、アルゴリス地方にはミケーネとティリンスの二つの宮殿が存在しました。

また、ボイオティア地方では、テーベとオルコメノスがライバルだったようです。このようにギリシアはいまだ政治的に分裂していたと考えられています。

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