この状況が突然改善されたのは、中期青銅器時代の終わり頃でした。ペロポネソス半島のミケーネの竪穴式墓では、複数の死者が金のデスマスクなどで覆われ、豪華な副葬品と共に埋葬されていました。

このような豪華な富を誇示する余裕があったのは支配者だけですが、これはミケーネで権力を握っていた人々が、自分の権威を主張する必要があったのかもしれません。

同様の死者に対する贅沢な扱いは、後期青銅器時代/ミケーネ時代(前1600〜前1000年)初頭のペロポネソス地方の他の場所でも見られ、例えばヴァフィオ、ピロス、ペリステリアのトロス墓(円形墳墓)にも見られます。

スパルタのメネライオン(スパルタ王メネラオスと王妃ヘレネを祀る神殿)を除けば、印象的な建築物はあまりありませんが、すでに、ミケーネやピュロス、ティリンスに宮殿があった可能性は少なくありません。

前16~前15世紀のギリシアは、好戦的な支配者たちの小王国が幾つもあったようで、彼らは力によって富の一部を手に入れたと思われます。

そして、ミケーネ人は前15世紀にクレタ島の独特の宮殿文明を築いていたミノア人の宮殿を破壊し、その後クノッソスを支配下に置きました。

ミノア文明が衰退すると、ミケーネ人が、前14世紀、前13世紀に島々に定住し交易に深く関わるようになりました。ミケーネ人の陶器は、地中海東部、イタリア、西はスペインまで何百もの遺跡で発見されています。