とにかく奥さんは、1日中ぽろもきを子犬を抱くように可愛がっていた。このような子どもの扱いは、エリート階級の親たちは避けていた。典型的な過保護で過干渉な育て方だと知っていたからだ。こういう対応で育てられると、勤勉さや向上心が育たないのである。

実は天野氏は、子どもには興味がなかった。奥さんが子どもを可愛がりたいと言い出したので、“奥さんにプレゼントをした”くらいの感覚だった。

ぽろもきの両親は、自分の子どもが不適切な甘やかされ方をしていたことは承知していた。しかも、時々預かるどころか、1年間のほとんどを天野家で過ごし、天野夫婦が旅行に出掛ける時に両親のところに戻ってくるという状態で数年が過ぎた。

両親は、自分たちが良い階級で仕事ができれば、ぽろもきが誰にどう育てられようとどうでも良かったのである。このように、出世のためには子どもの人生を犠牲にしても構わない親も存在したのである。

したがって、ぽろもきの幼少期の記憶は、天野家での生活しかない。夫婦の家は大きな屋敷だった。高級住宅街の中でもトップクラスの広い敷地には、大きな庭があり、たくさんの部屋がある建物の前には表玄関と門があった。

庭の後ろには裏門があり、屋敷の周りは高いコンクリートの壁で囲まれていた。ぽろもきは1つの部屋で寝起きをしていた。子ども1人には広すぎる部屋だった。

ベッドもあり、食卓テーブルもあり、食事はいつも奥さんと食べていた。奥さんは自分のことをママさんと呼ばせていた。