橿原神宮のある畝傍山も、山口神社の耳成山もどちらも孤立峰なので、どこからもよく目立ちます。ここ天香具山(あまのかぐやま)は多武峰、音羽山と続く龍門山塊の一部となっており、外から眺めても目立たないのです。この目立たないというところが気に入っています。
大和のこの界隈の地形に詳しくない人が大和三山の位置を金剛山や二上山、あるいは甘樫丘から眺めて、他の二つの山は判別できてもすぐに「天香具山」をいいあてる人は少ないようです。
季節はもうすぐ夏です。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣干すてふ 天の香具山(持統天皇)
当時に思いを馳せます。虫干しでもしているのでしょうか、あるいは洗濯したものが、しろしろと山の濃い緑にはためく様が目に浮かびます。藤原京あたりからの眺めでしょうか。多分庶民の生活は貧しいものだったでしょう。
この藤原京に立ってしばし考えさせられました。都は時に湿地となり水はけが良くなく、恐らく下水で汚れて臭いなどもきつかったろうかと想像できます。一説では汚濁で伝染病もはやり遷都したとかいわれています。
山頂に、いや丘の上に、「国常立神社(くにとこたちじんじゃ)」といういかめしい説明板があります。祠は4m2四方余りのほんのささやかなものですが。例の「イザナギ・イザナミの命」が祭られているとあります。
そこで改めてまじまじと字を見て確認してみました。
【伊邪那岐いざなぎ(伊弉諾尊)・伊邪那美神いざなみのみこと(伊弉冉神)命】
〈天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読尊(つくよみのみこと)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の父である〉
と書いてあります(特にカッコ内の後半の字が難しい)。
そうそう、こんな字を書くのであったかと、なんだか懐かしい思い。久しくこんな字に気を留めてもいませんでした。
「忙」にしてこころを亡くし、こころここにあらずであったのです。あるいはそれは言い訳でしかないのか、これは今日の一つの発見でした。というか「独りごちた」(ひとりごとめいた)思考回路の浮遊感に漂ったのです。これまた「楽しからず」であります。
【前回の記事を読む】平等は絵に描いた餅なのか? 否、平等は確かに育てられていく