一粒の種子たね

修学旅行には、積立金のほかに体験学習費の名目で、お金を追加で払うことになっていた。

だからというわけではないのだろうが、旅行に参加しない子がクラスに四、五人はいた。

社宅や大きな団地に住んでいる子、それと少なかったが戸建てに住んでいる子は、文句なく旅行に参加していた。

小さなアパートに住んでいる子や、間借りをしている家の子のなかには、ふだんから給食費を待ってもらっている子がいて、家によって稼ぎに差があることを俺は知っていた。

母さんは気が強かったから、給食費や教材費が遅れたことは一度もない。

でも、体験学習費を請求するプリントを見せたら、母さんは少し嫌そうな顔をして、「曜、あんた旅行に行きたい?」と聞いた。

俺は旅行先の日光に興味がなかったので、「別に」と答えた。

「旅行欠席にすれば、積み立てたお金が戻ってくるし、それで好きなもの一個買ってあげるから、欠席にしなさいよ」

母さんの言葉が終わらないうちに、もうほしい物を考えていた俺は、そんなに学校が楽しかったという思い出がない。成績は中の下、みんなの先に立ってはっちゃけるタイプではなかったから、学校ではきっと、いるんだかいないんだかわからない、存在感のない生徒と思われていただろう。

修学旅行欠席で、返してもらったお金は八万円。そのなかから半分と少しで、当時流行っていたゲーム機とゲームソフトを中古で買ってもらった。

誕生日もクリスマスもプレゼントをもらった記憶のない俺には、うれしかったなんてもんじゃなかった。

残りのお金を返したら、母さんも少しうれしそうな顔をした。

それからは、学校に行ってもますます鳴りを潜めて、ひたすら給食の時間を待ち、食べ終わると午後の授業はうわの空で、帰ってゲームをすることだけしか考えていない生活だった。

秋の修学旅行が終わると、あっという間に年が明けて、びっくりするほどのスピードで卒業式がきた。

卒業式といっても、うちは親は来ない。

母さんは俺がなにをしていても、毎日変わらずに働いていた。