新潟での日々

仰天続きの小学校時代

そしてもう一つ、私には苦手なもの(人?)がありました。それは小学校の用務員のおじさんです。

母が日直のときは、私と姉も学校に行き一日を過ごします。そのとき、用務員さんが私たちを見つけると、ニタニタしながら追いかけてくるのです。

もちろん姉の方が逃げ足速く、捕まるのはいつも私!

「ギャ~~~!!!」

と私が大声で泣き叫ぶと、おじさんはあわてて手を離すのですが、それでも母の日直について行くたびに追いかけてくる用務員のおじさんが、私にとっては死ぬほど怖い存在でした。

今思うとおじさんは、私たちと遊びたかっただけなのかも知れません。

何年生のときだったか、大きな台風が深夜の和島村を直撃しました。強風で飛ばされそうな住宅のガラス戸を押さえていると、

「学校がつぶれた~~~!!」

と、外から男の人の叫び声が聞こえました。隣の住宅に住んでいた先生が、たまたま宿直で学校に泊まっていたのです。

翌朝外に出てみると、屋根のトタンはすべて剥がされ裏山の木も倒れ込んで、家の周りは足の踏み場もないほどでした。

学校は校舎の一部と体育館が倒壊し、しばらく二部授業(二つの学年が同じ教室で午前午後に分かれて授業を受ける)が行われました。

またある年の冬、大雪のため集団下校で早めに帰宅することになり、県道でみんなと別れ自宅までの小道を進んで行くうちに小さな私の体はすっぽり雪に埋まり、身動きがとれなくなってしまいました。

今思うと、学校に残り母と一緒に帰ればよかったのでしょうが、そんなことも思いつかず雪に阻まれ大声で泣き叫んでいると、先に帰宅していた中学生の姉がスコップを持って私を助けに来てくれました。もしかしたら行き倒れになっていたかも知れないと思うと、姉に感謝、感謝です。

教員住宅はお風呂が共同で、入居している三世帯が順番にお風呂当番を務めていました。薪(まき)でお湯を沸かす昔ながらのやり方で、父がいないときは上の姉と私がその係でした。

かまどの中に薪を入れ、山から拾ってきた小枝や杉の葉や松ぽっくりで火をおこすのですが、それがなかなか上手くいかず、寒い冬の日など姉と二人で震えながら風呂番をしたものです。

台所には小さなガスボンベとコンロがあり、母が食事の支度をしていると突然火が消えかかって大騒ぎ。

「ボンベを揺すりない!(揺すりなさい)」という母の号令のもと、必死になって揺すっていると、わずかに残っていたガスで何とかお湯を沸かすことができるのでした。

生ゴミがたまれば裏山に捨てに行き、トイレのおしりふきは新聞紙を使い、冬の暖房は炭炬燵しかなく、もちろん冷蔵庫も扇風機もありません。本当に素朴な生活でした。