秋が深まりゆく頃だったと思う。列車を降りた後、僕は、バスに乗り込んだ。バスは、海沿いのうねうねと曲がりくねった国道を走り、温泉街を抜けた。

坂の多い別荘地に、その隠れ家はあった。僕は緊張して玄関のベルを鳴らした。母が、僕が来たことに気づいてくれれば、扉は開かれるはずだ。しかし、いくら待っても返事はなかった。僕は何度も何度もベルを押し続けた。

何時間、僕はそこにいたのだろう。日はとうに落ち、月がはっきり見えていた。

もう帰るしかないと、僕が足を踏み出したその時だ。母が暮らす隠れ家に、明かりが灯った。そう、母は男とその隠れ家にいたのだ。

お母さんはもう、僕のお母さんじゃない。お母さんは、僕やお父さんじゃなくて男を取った。お母さんは女だ。薄汚い女だ。でも僕の母親だ。どんなに嫌でも、僕の母親なんだ。母の病気、そしてやがて死ぬだろうということも、僕はわかっていた。

僕の父は医者だ。

僕がまだ幼かった頃、朝帰りの父は、玄関先でよく母に塩をかけられていた。

「何? どうしたの」

「うん、今患者さんが亡くなってな」

肩を落とした父の大きな背中に、僕は、彼の背負っている責任の重さを感じ取った。

ああ、今、人が一人死んだのか。幼い僕には少しも実感がない。だけど、生きているものは、いつか皆必ず死んでいく、ということさ。これが我が家の日常であり、死は常に隣り合わせにあった。

死を目前にした母は、何を考えていたのだろう。その頃の僕には、もちろん想像できるはずもない。僕の周りは全て敵で、理解者などいない。僕はもう、一匹の獣になっていた。

僕が幼い頃から、なぜか母方の親戚は皆、父のことを嫌っていた。そして親戚たちは、信じられないことに、母とその浮気相手をかばったんだ。

離婚になるのか、このまま両親は別居のままなのか。

「あなたはどっちについてゆくの?」