第一章 プレイ・ボール
銀のさじをくわえて生まれてきた、という言葉があるよね。
地元でもよく知られた家、蜷木(になぎ)家に僕は独りっ子として生まれたんだ。大事な跡取りであった僕に、親は何でも買ってくれたっけ。
週刊誌に漫画、子ども向けの文学全集に百科事典、画集。三百五十分の一スケールの戦艦大和プラモデルや、当時皆が憧れていたドロップハンドルのついた五段階変速の自転車もあった。僕の部屋には、子どもが好む、ありとあらゆる物がそろっていたと思うよ。
「曾祖父さんからの贈り物よ」
母が手渡してくれたのは、七五三用のタキシードとシルクハット。今思い出してみても、思わず「手品師かよ」
とつっこみを入れたくなるプレゼントだったっけ。
将棋に少し興味を覚えたら、さっそく次の日には、桑の駒台に、黄揚(つげ)で虎斑(とらふ)の駒、榧(かや)の六寸盤がそろえられていたんだ。
レコードもいろいろ買ってくれた。クラシックって言われても、子どもにはわからなかった。
「ピアノを習いなさい」
「嫌だ」
こんな会話は日常茶飯事さ。
なんだって勝手にそろえられ、僕が言わなくても、先に先に準備されていくんだ。食事にしたって
「崇。湯葉を食べてきなさい」
ブルートレインに乗せられて、朝早く京都駅に降りたこともあるよ。
「あちらにおじさんがいるから、一人で海外に行っておいで。これも経験だ」
急に言い渡され、一人でハワイ行きの飛行機に乗せられたこともあったっけ。
飛行機は何回乗ったかわからないぐらいさ。九州の田舎の子にしては、比較的恵まれていたと思う。
僕の父は医者で、母は大きな会社を経営していた。
何の不自由もなく過ごした少年時代の話を聞くと、他人は
「なんと幸せな少年ね」
と思うかもしれないなあ。
でも僕は、毎日がたまらなく辛かったんだ。