誰でも知る大企業へ(昭和四十三年~平成十年)

作詞作曲 テープ化

一緒に仕事をした職場の歌好きな相手に、若いときに書いた詞と、それに曲を付けたものがある。人生の記念にカラオケテープを作ってみたいと話したら、期待して待っていると言われ、本格的に取り組んだ。

『霧のブールバール』(フランス語で並木通り)。編曲者とのやり取りをして三ヶ月、デモテープが出来上がったとき、自分の書いたオタマじゃくしが音楽になった。自分の手で一つの歌を生み出した喜びと聴いたときの感動は、バラ色だった。新聞記者の取材も、写真と共に記事になることも初めてで、身の周りが忙しくなった。

工場内でも珍しい、職場の仲間が集っての発表会。栃木放送でも流れ、カラオケ大会でも歌うなど大きな反響だった。一曲のカセットテープの力を知ることになった。

「第二弾はいつ出るのか」「不倫の歌を作れ」などなど、作詞作曲で十曲ほど作った頃に、「歌を作る人間は生まれ故郷の歌を作らなけりゃ」と言われ、私もハッとした。

『三笠恋唄』をテープ化すると、北海道三笠市の応援歌に指定され、市の催しに流すとのこと。広報に詞と共に紹介された。新聞も二紙で紹介。一紙には依頼を受けて写真を送った。

帰郷したときには市長より記念品を頂き、帰りは課長が門まで見送りにきた。歌の力を改めて感じたときであった。疎遠であった竹馬の友から、新聞記事が入った手紙が届いた。歌を作ってよかったとしみじみ思ったものだ。

音楽創作に親しんだことで、貧乏人の心を癒やす大きな感動が得られたのであった。メジャーのレーベルで『裏町情歌』『女の潮路』などのテープを出し、一時期は著名な団体に加入していたが、経済的な理由と力不足を感じて遠ざかってしまった。

自分には無理だと思っても、情熱を持って本音で体当たりして、道が開けることもあるのだ。

〝夢と感動〟をありがとう。