開き直りの貧乏人(平成十一年~現在まで)
一人の貧乏暮らし
北海道で築十年の中古の住宅に、妻と住んで九年目、同じ市内に中古の家を買って、妻と別居し、一人暮らしを始めた六十五歳。
泥炭地の土地百坪、築三十四年で、すでに少し傾いている。屋根のトタンは赤く錆びていた。冬場は隙間風で寒々しく、暖かいのは居間だけ。他の部屋はしんしんと冷える。貧乏生活が身に沁み付いて、生活レベルの向上や高価な物には、お金を使う気になれない人間になっていたように思う。
中古の家に設置のLPガスボンベを、何度も言って撤去させた。定期の補充は高くつくため使用を止めたのだ。代わりにカセットボンベを使った。一ヶ月四本で三百八十円、この話で湯の友が奥さんの協力を得た。料理によっては二日で一本使うときもあるが、一ヶ月平均して比較すると、カセットの方が千円安いとの結果報告があった。独居の貧乏人の知恵だ。
私は毎回、ご飯は殆ど一膳で、料理したおかずは無くとも、食卓の梅干し、らっきょう漬け、ノリなど、ここに美味しい味噌汁があればよし。味噌汁だけでもOK。有り合わせの粗食、これが貧乏生活のバランスである。
分相応、必要最小限で背伸びしなくても、明日も元気に生きられる。男でもご飯を炊くこと、具の入った味噌汁を作ることは、最低の必須条件である。運動はしないが、低カロリー摂取で釣り合っていたようだ。
十二年間住んでいたが、屋根のペンキ塗りや地下水道の水もれなど、維持費がかかるのと、姪も自家があり不要というため、安く売って家を無くしてしまった。
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