開き直りの貧乏人(平成十一年~現在まで)
一人の貧乏暮らし
貧乏人を名乗り自遊行路の直進で、道の駅スタンプラリーや自然探究などをした。水害にも遭った。朝起きてカーテンを開けたら茫然。家の周りが海なのだ。
トイレの水が下がらず困って電話したら、避難ボートが玄関入口まで来てくれて小学校へ避難。私がボートに乗っている写真が新聞に出た。床下浸水で済んだが、同じ市内でも低地域だけの不運であった。
七十五歳のとき、肺炎にかかった。今までは、風邪を引いても銭湯のサウナで汗を流すと楽になり、自然と治っていたが、様子がおかしい。五日ほど経っても全く変わりない。夜中に喉がゼーゼー鳴り出した。これは肺炎だと思い朝を待って、自分の運転で病院へ。
的中だった。何回も点滴に通って治したが、辛い目にあった。食欲がなくなり、梅がゆも砂をかじっているようでダメ。コーヒーを飲んでも半分で捨てる。味覚が狂っていて瘦せてゆく。ヨーグルト状の缶詰めに漢方薬を併用。お医者さんのお陰で、生き延びることになったのである。
病気の話になったとき「実は小さい頃から持病があって、それが難病です」と言った。病名は「金無い症候群 慢性金欠病」だ。
一人暮らしを始めた土地は、面白い現象があるので紹介する。昭和五十年頃に家がポツンポツンと建てられ、水道管を道路なりではなく近い所から直に継いだため、自分の家に関係のない水道の水もれが庭から吹き出してきた家もあった。
私が買った敷地は、前の持ち主が、道路用地へ境界より故意に七十センチほど、長さでいうと十五メートルはみ出して置石を置き、盛土して生垣を造っていた。新しい水道本管埋設前の道路測量から新たに舗装されたが、公道に飛び出した部分は、そのままになった。
遠くから見ても一目瞭然である。新たに境界杭は入っている。生垣は園芸屋さん、門柱代わりの大石はレッカー車。市役所の方では予算が無いため、測量前のそのままで道路舗装になったと思う。近くのがわざわざ見に来ることもあった。
独り居の留守にポツンと猫が待つ