自由行路

満五十五歳で定年扱いの退職をして、私だけが北広島市にマンションを買って北海道へ帰ってきた。その後は、職に就かずバイトもせず〝自遊行路〟だ。いい暮らしも望まず、あるがままの人生を歩む、幸せ者だと思っている。気ままな人間の裏側をさらしている。

仕事を持っているときは、自分の能力を出し切ったつもり。その分、退職以降は自由に生きて自分を活かすことが、本来の人生ではないかと考えて実践してきた。

仮に三十年働いたら、今度は逆に三十年遊んで生きる、これが理想的な生き方であろうと私は思う。人間は本来、苦労するために生まれてきたのではないと思う。

自遊行路に向かうには、働いているときから用意周到な準備も必要だ。単なる人マネで始めたら、人生を狂わしてしまう恐れがあるため、相当な覚悟も要るのである。

準備とは、早期退職する十年も前から公的年金につなぐため、会社の積立て年金を始める。個人年金も備えるなどが必須条件だ。私は五十五歳から六十歳の間に、会社の積立て年金は全部食ってしまった。

覚悟とは、仕事をしないために行き詰まってくるかもしれない。一旦決めた以上は〝お粥〟をすすってでも耐える。自分だけすすってでも耐える。

大事なことは、働いているときにいくら貯めても、貯めた〝お金〟を頼りにしたら、お手上げになるということ。一定のお金(生活費)が入る筋道を付けて、ときどきの不足を貯金で補う(経験者は語る)。

仕事もせずに、若いのに勿体ないと何人かに言われたが、誰にも頼らず、自分の力と甲斐性で生きるから堂々たるもの。人の批判など問題ではない。人が容易にできないことを、自分はできている。そんな優越感すらあったのだ。

遊ぶとは、心の趣くままに生涯学習や新聞の三行コントや川柳など、有意義かつ心豊かに、生きることを楽しむことである。

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