磯吉商店

今日は金曜日で磯吉商店は宴会の予約で大忙しだ。お店は通りに面した南半分は鮮魚店、北半分は宴会場となっている。鮮魚店調理場の奥が厨房になっていて、板前数人が宴会用の料理を忙しく調理しているところだ。

ジューっと天ぷら油の中でエビが揚がる音、好い匂いと共に煮炊きのグツグツいう音、出来上がった料理の香ばしい匂いなどが厨房を満たしている。

板前の調理台の横に置かれた盛付台では妻キヨと女性パート従業員たちが、料理の盛り付けやコップなどの用意をしてガチャガチャと食器の音がせわしない。

厨房にあるリフトのスピーカーからは、2階の宴会場で人数を確認し座布団を並べ、コップやお箸、料理を配膳する仲居たちの声が賑やかに漏れている。

キヨを筆頭に板前たち、従業員たちみんなが夕方5時過ぎからの宴会の準備に忙しく追われている。宴会場の玄関ロビーでは、着物姿の仲居が玄関の上り台にぎっしりとスリッパを並べて客が来るのを今か今かと待ち構えている。

しばらくして鮮魚店の事務机の上にある黒電話が鳴った。厨房で忙しく働いていたキヨが電話を取りに走り受話器を取ると「魚はまだですか?」と急ぎだと言った客からの苛立った電話だった。

「あれぇ、まだ着いてませんか? 近いところですからもうとっくに着いているはずなんですが……、どうもすいません。すぐに持っていきます」と告げるとキヨは電話を切った。

「もぉ、こんな忙しい日にまたあの人消えてしもたぁ。かなわんわぁ」と、キヨの眉間に皺が寄りしかめ面になった。いつものこととはいえ、こんな忙しい猫の手も借りたい時にスエヨシが消えると腹が立つ。

キヨは腹立ちまぎれに手に持っていた茶碗を床に叩きつけようとして腕を思いきり振り上げた。けれどはっと顔付きを変えて持っていた茶碗を見て、客用の高価な茶碗だと気付き手が止まった。

急に真顔に戻ると食器棚の方へ歩いていき、自宅使いの安い茶碗を見つけて持ち替えた。そして怒っているのか喜んでいるのか複雑な表情を浮かべると「くそぉ、あんにゃろめぇ! また悪い友達と会って麻雀に行ってしもたなぁ」と、今度は迷わず思いきりよく茶碗を店の端っこの床に叩きつけた。パリンっと茶碗は気持ちの良い音を立てて粉々に割れた。