このように今までの歴史に学び、人はあらゆる差別撤廃と人間平等主義を目指しています。ガンジー然り、黒人の指導者であったキング牧師やネルソン・マンデラ然りです。
しかし一方でいじめや暴力、国際紛争、様々な差別、ヘイトスピーチなどが蔓延しています。この現実に立ち、人は理想との乖離に苦しむのです。あきらめと絶望が支配していきます。殊に資本主義の悪弊、競争原理社会ではこの感が一層強まるのです。
「人の顔を見て物を言え」とか、人それぞれ顔が違うように感じ方も違うともいいます。ならば平等は絵に描いた餅なのか。到底達せられない淡い希望なのか。NOであります。
私が福祉社会の理想を半世紀求めてきての結論。それは、平等は確かに育てられていくということです。確実に歴史とともに! 22世紀での飛躍を期待します。
そのためにも「平等でない人間および人間性」をしっかりと意識することが大切です。その中から、人間いついかなる時も「その時にかなって美しい」、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」の現実感覚を持ってこそ「びょうどう」の意味が分かるというものです。
曽野は言います。「他人の暮らしが素敵に思えるという錯覚」。他人の芝生は青い。それらは人と自分とを比べることから始まります。この「比べる」という心を超えたとき明日が見えます。
人間は他人に過少評価も過大評価もされずに過不足なく認められることが幸せなのです。
注1)カルマ{業}過去生のカルマは「サンスカーラ」、今生のカルマは「ボガ」、これから引き起こされるカルマは「プラダブ」。これらのカルマを体のヨガであるハタヨガや禅の元のラージャヨガ、チャクラ覚醒法のクンダリーニヨガ等で導くこと。参考 相川圭子『ヒマラヤ聖者の超シンプルなさとり方』徳間書店 2009
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