『伊勢物語』第六十三段「つくもがみ」では、在原業平に恋する老女の姿に

〝百年(ももとせ)に一年(ひととせ)足らぬ 九十九髪 我を恋ふらし 面影に見ゆ〞

と詠み、業平が老女と添い寝をする場面がある。

久秀は一八年前に、千貫で購入した。しかしこの茶会から三年後、信長に自ら献上している。その後秀吉・家康と渡りながら、多くの逸話に彩られていくのである。

久秀は業平の歌〝我を恋ふらし〞を、〝茄子を恋ふらし〞と変えて、宗易の茶入に対する想いををからかったのであった。『九十九髪茄子』は宗易の「茶入切型」の掉尾(ちょうび)を飾るに相応しい名器であった。

五月一九日、第十三代将軍足利義輝が暗殺された。洛中の居城「二条御所」にて、三好義継・三好三人衆・松永久通(久秀長男)ら一万の軍勢の急襲にあったのである。

義輝は将軍在位一九年と長かったが、享年三十歳であった。義輝の死は、多くの大名の怒りを買った。特に義輝と親しかった上杉謙信は「三好・松永の首を、悉(ことごと)く刎(は)ねるべし」と神仏に誓ったのである。民衆にも怒りが広まっている。

「義輝追善供養」には、貴賤男女を問わず、七万人が集まった。三好・松永は世間を敵に回してしまった。しかし三年後、信長が上洛するまで、畿内は依然として三好と松永の権力闘争の場であった。

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