妻の妹は若く未婚で、お勢は以前、本田及び自分の母と一緒に団子坂に菊を見物に行ったときに(文三も誘われたのですが、免職になって気を腐らせていたので辞退)一度見かけていました。
そのとき、お勢は本田に課長の義妹について尋ねて「学問は出来ますか」と言い、本田はそのときは、知り合って日が浅いのでよく分からないと答えていたのです。
それからしばらくして本田が英語を教えているという話になるわけですが、そのときもお勢は本田に、課長の義妹は英語の実力があるのかと尋ねます。
本田は、簡単な会話でも間違えるくらいだからたいしたことがないと説明したので、お勢は冷笑するのですが、自分もその日英語を教わりに出かけてやはり単純な言い回しで間違えて教師から叱責されたことを忘れていた、という記述がその後に来ます。(第十七回)
つまり課長の義妹もお勢も英語の実力ではどんぐりの背比べというわけですが、大事なことはここでお勢が若く未婚である課長の義妹をライヴァル視しており、課長の義妹と自分の魅力を英語力によって比較しようとしている、という点なのです。
もっとも、お勢の英語はあまり上達せず、やがて今度は編物の夜稽古に通いたいと言い始め、「編物の稽古は、英語よりも、面白いとみえて、隔晩の稽古を楽しみにして通う」と書かれています。(第十八回)
結婚生活に役立たない英語より、役立つ編物ということなのかも知れません。この箇所を、お勢が本田と関係を持ったことを暗示しているとする論者もいます。
もっともこの小説は未完であり、その先お勢がどうなるのか、文三がどうなるかは分からないままに終わっています。
以上、『浮雲』に現れた学校や学歴を検討してみました。学校や学歴の描写に具体性が欠けていること、女性にも英語学習熱が見られ、女性雑誌も登場することなどに世相がうかがえることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
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