話を聞いて、ショックというより失(な)くしていたパズルの欠片(ピース)がはまっていくような感じだった。

列島を鳥瞰(ちようかん)する間もなく、飛行機は羽田に着いた。僕は、悪寒と冷や汗でフラフラだった。旭川空港までと同じように車椅子用のタクシーに乗せられ、横浜の病院へと向かう。

高速道路に入ると、そこかしこに高いビルがあり、急に夢から現実に戻ってきたような気がした。車はおよそ二十分で高速を下り、そこから十分ほどで転院先の港口(みなとぐち)整形外科に着いた。

病院玄関で、気の強そうなショートカットの女性看護師と背の高い男性看護師とが出迎えてくれた。

「大変だったでしょう。骨折のままの長旅じゃ」

にこにこと笑いかける女性看護師が一瞬、男性看護師に怖い顔を向け、「荷物!」と怒鳴った。男性看護師があわてて荷物を受けとる。

「空港で事情聴取までされたんですよ」

両親は笑いながら看護師に荷物を預けると、「じゃあね」とそのまま帰っていった。病院の車椅子に乗せられ、僕はすぐにそのまま身体検査に連れていかれた。

まずは体重測定。車椅子ごと体重計にのせられる。女性の看護師に体温、脈拍、血圧を測られ、採血された。次に放射線科。冷たいプレートの上で肘や膝を曲げた姿勢でレントゲン写真を撮られる。旭川でも撮られたのだろうか。そういった記憶はまったくなかった。

さらに院長による診察。現在の状態を話しながら、包帯がほどかれ、アイスの棒のようなヘラで患部に軟膏(なんこう)が塗られた。ひと通りの検査と診察が終わると、ようやく病室に連れていかれた。

病室は四階の西側にあった。六人部屋で五人の先住人がいたが、ほとんどのベッドがカーテンで閉ざされていた。ベッドが三つずつ向かい合っており、僕は入って右側の真ん中に寝かされた。

「お食事でーす」

若い小さな看護師が食事を運んできた。ここの看護師たちは垢抜(あかぬ)けて見えたが、みんな、どことなく疲れきっていた。

【前回の記事を読む】警官から車に撥ねられたときの状況を説明されたが、正直、まったく覚えていなかった