明るく声を振り絞って、受話器を置いた。そのあと、目から涙がどっと溢れた。母の声を聞いて、緊張やらなにやら、一気にほぐれて、涙が止まらなくなったのだ。ホームシックになったのだろう。
急いで外に出て、涙が乾くまで下界の景色を眺めていた。
日々いろんなことがあったが、やはり空気の薄さによるトラブルは多かった。他の小屋のバイトの強者は下から郵便を運ぶ仕事もしていたが、うちの小屋の前あたりで顔面蒼白になって座りこんでいた。
それが女の子だったりすると、「そんな仕事引き受けなきゃいいのに、なんで……」と思ったりもした。
ある日の夕方には、ポーランド人のおばさんが、やはり高山病でうちの小屋に倒れこんできた。
「これはもう、下山させるしかないです」
社長がそう言って対応していた。
女の子は免除されていたが、男の子たちは夜を徹した店番の仕事もしていて、朝眠ることもあった。大変ながらも、日々は淡々と過ぎていき、いよいよバイトの最終日がきた。最後に山頂に登ってから、下山しようと最初から決めていた。
長く八合目に暮らしていたので、高所順応はバッチリだ。出発は夜中三時くらいだったろうか。
「これを着ていきなさい」
社長が、黒い法被を渡してくれた。
「それ着てたら、山頂でラーメン無料になるから」
そんな良い特権があるのか。私はお礼を言って出発した。
帰りにまた小屋に寄って荷物を取るので、身軽に出かけられる。今思えば夜中にヘッドライトもしないで山に登るなんて考えられないが、とにかく当時の私は山に関して無知で、すべて適当で、何も考えていなかった。