日本一の頂へ
バスは富士の五合目に着いた。夏休みだからか、あたりは多くの人でにぎわっている。私は、ついていけそうな団体を探した。ルートなど調べもせず、これからどんな道が待っているかも分からない。
迷うのだけは避けたい私は、中学生くらいの男の子を連れた、高齢者も交ざった新潟から来たという家族の団体に声をかけた。人の良さそうな集団だったからだ。
「後からついていくだけなので、一緒に行ってもいいですか」
家族のおばさんは、少し戸惑いながらも許可してくれた。初めのうちは、ゆるい登り。途中追い越していく馬に乗った人をうらやましく思いながら、徐々に高度を上げていく。行程は思ったよりもずっと長い。
新潟の家族と時おり離れそうになりながらも、どうにかついていき、七合目までたどり着いた。その後もどんどん登り、いくつかの山小屋の前で休憩を取りながら、私は「なんだか頭が痛いな」と思い始めた。
まだかまだかとだんだん途方にくれながら、どうにかバイト先の山小屋に到着。新潟の家族にお礼と別れを告げて、私は小屋に入った。怖そうな小屋の社長と、細身で笑顔の奥さんが迎えてくれた。
早速、「頭が痛い」と私が社長に告げると、社長は、「今日は何もしなくていいから、すぐに寝なさい。明日から働いてもらうから。寝れば治る」そう言って、寝かせてくれた。寝るところは、意外に広めの二段ベット。そこを奥さんと半分ずつ使う。それに比べて、お客さんを寝かせるところは、ものすごく狭い。ぎゅうぎゅう詰めに寝かせられている。
その様子に、私は衝撃を受けた。人の足が自分の顔のすぐ横にあったりするのである。なんてことだ、山小屋って、こんな風なんだ……。興奮冷めやらぬままどうにか目をつむり、朝起きると、頭痛はすっかり消えていた。「じゃあ、働いてもらおうか」山小屋での仕事が始まった。
主な仕事はお客さんの食事の世話や売店での販売である。確か、酸素が千五百円、ビールが六百円。山の値段にも驚いた。それでも品物はどんどん売れていく。登山客がとにかく多いのだ。
日本人だけではなく、外国の人もどんどん登ってくる。囲炉裏に座って、お客さんの杖に小屋の標高を記した焼き印を押すのも仕事だった。ふとんを干したり、ごみを捨てたり、トイレ掃除、やることはたくさんある。