途中、社長に「もっと明るくないと」と注意された。一人で行動するわりに、当時の私は内気で、接客にはまるで向かない性格だった。

その頃、政治の世界では羽田内閣が総辞職し、「自社さ」連立政権が誕生。村山富市社会党委員長が首相になったことが大きな話題となっていた。

売店でビールを売っていると、一人の外国人男性が近づいてきて「この政権交代をどう思うか」と私に聞いてきた。はにかみながら「よく分かりません」と小さく答えた私に、その人は、「シーイズシャイ」と言って去っていった。

小屋からの景色は雄大で、晴れていれば眼下に山中湖が見える。雲が目の前を通り過ぎたり、壮大な夕焼けが幾度となく空をオレンジやピンクに染めた。

気温は、夏だというのにものすごく寒い。いつの間にか足の指に霜焼けができていた。たいした防寒着を持っていなかった私に、奥さんが半纏(はんてん)を貸してくれた。赤毛のアンに憧れて、髪を三つ編みにしていた当時の私。半纏姿で囲炉裏端で杖に焼き印を押す姿は、まさしく雪ん子のようだったろう。

奥さんはチョコパイが好きで、私も大好きだと言うとすぐに分けてくれて、バイト期間中、二人で囲炉裏の横に座りたくさんのチョコパイを食べた。お陰で、帰る頃にはずいぶん体重を増やすことになった。

バイト生は、ほかにもたくさんいて、途中で入れ替わることもあった。よしきくんという、社長の甥っ子らしき若い男の子も途中加わって、その見た目が自分の好みだったせいか、仕事に張り合いが出てきた。

もちろん失敗もした。夕飯の海藻サラダにドレッシングをつけ忘れて出したりしたのだ。お客さんは、何の味つけもないサラダを食べ終わっていた。出し忘れに気付いた私が謝りに行くと、そのお客さんは、「素材そのものの味がしました」と言って、笑っていた。

そんな調子の私なので、注意されることもしばしば。しかし、そんな私に親切にしてくれた人たちもいた。高野山大学から来たお坊さんの卵の一行だ。

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