第二章 おがさわら紹介
一 父島「近代土木遺産」
1 旧長谷橋
そして、それを眺めれば眺めるほど、旧橋の橋脚・アーチ部・高欄などに一切、手を加えることなく原型を保っていることに驚かざるを得ませんでした。
新橋構築に当たって、当時、返還当初の復興事業の多忙を極める中で、下部工(逆L型)・河道整備・橋桁設置などで、旧橋の一部に手を付けざるを得ない状況にあったことは想像に難くないところですが、一切無傷にして保全したのですから、奇跡ではないでしょうか。
併せて、写真のとおり、旧橋を新橋との間の絶妙なクリアランスと、その空間に映える緑に溶け込ませた技術者のバランス感覚には驚かされるのです。
写真は、下流側から観た旧橋の姿ですが、改めて今一度訪れ新橋も入れた姿をまじまじと観たいと想ったりします。
このバランスは、偶然だったのでしょうか?
こうして扇浦から小港に抜ける都道下に偉大な土木遺産が、通常、人の目に触れることなく残されているのです。土木工学を学んだ者として、遺産を残すという判断のもと線形が計画されたのであれば先人の透徹した懸命な考えに頭を下げるばかりでなく、ある面、畏敬の念を抱いたりします。
これは、単なる先人への思い過ごしでしょうか! これからも、都道が存続する限り、場所的なこともあって、観ることを目的とした人以外、半永久的に一般観光客には目に触れることもなく静かに残置され続けていくことになるのでしょう。
頂いたFAX内容には、「諸元:長一〇・八メートル、S八・四メートル(A)、完成年:昭和五、ランク:C、評価情報:小笠原初の永久橋/父島に現存する唯一の戦前の橋/高欄:X模様(オリジナル)」との記載となっています。
その中で「ランク:C」の意味合いは、どのようなランク付けなのか理解出来ませんが、保存状態からすればランクAに匹敵するのでしょうか!
なお、その場を去る際、後ろ髪を引かれるように旧長谷橋から「どなたも振り向いてくれません。またお会いしましょう!」と、呼び掛けられたようでした。当然に、「もちろん、会いにきますよ!」と、言葉を発していました。