第二章 おがさわら紹介
一 父島「近代土木遺産」
4(旧)清瀬弾薬本庫
小笠原村診療所と東京都小笠原保健所の間、大神山斜面の中に存在しています。現在は、入口部が落盤の危険にあって、金網柵で囲まれ立入禁止となっています。
一回目の赴任の際に中に入り調査をしましたが、コンクリートの仕上げ面は、どこの塹壕にも共通して言えることですが、昨日、打設したかのような見事な表面仕上げの出来映えで、セメントの質もさることながら、当時、構築に当たった兵隊さんの技術力を現代に伝えています。
また、照度も十分でない懐中電灯により、カメラの焦点合わせをして内部の写真を撮りましたが、照明により赤銅色に輝く銅板張面を観た時には、何処か異次元の空間に迷い込んだような気分になった想い出があります。
そして、銅板張が単なる静電気防止のためなのか、それとも昭和四三(一九六八)年六月の小笠原返還時まで、米軍の特別使用目的のための格納庫であったのか! などと想ったりするのでした。いや、こうした勝手な詮索はしないことにしましょう。
同内容には、「諸元:長三六、二七、一五メートル、幅五メートル、完成年:昭和八、ランクB、評価情報:三本のトンネルで構成=第二・三トンネルに銅板張天井が残る(静電気防止のため?)=当時例を見ない構造/アプローチは石トンネル」との記載となっています。
小笠原は、世界自然遺産の島となって自然のみに目を奪われがちですが、こうした土木遺産が、小笠原からのメッセージとして、多くの戦跡と共に大自然の中から現代に何かを問い掛けています。
これら各施設には、辿り着くまで薮こぎを必要とするとか、立入禁止施設とかで、対面は難しいものになるかと思います。
しかし、小笠原を訪れた際は、「旧清瀬弾薬本庫」以外について、是非立ち寄って先人の労苦に想いを馳せながら、見事なまでに自然とマッチングした姿を静かに眺めてみては如何でしょうか。良き旅の想い出として、脳裏に鮮明に残ること請け合いです。
特に、土木技術者の方は旧長谷橋に立ち寄って、当時の技術力の水準と共に残置したことの懸命な判断の素晴らしさを静かに観賞されたらと考えるのです。多分に訪れた誰もが、
見入って「ほーッ!」と唸ることになるのではないでしょうか。それが、土木遺産たる証なのでしょう!