このハスは、千葉県にある二千年前の泥炭地で発見された種を植物学者の大賀一郎博士が受け取り、自宅で開花させたものだ。二千年の間眠っていた種が、再び花を咲かせるとは、驚き以外のなにものでもない。
さらに一九九六年には、この場所から三キロメートルほど離れたところから、銅鐸が三十九個見つかった。「加茂岩倉(かもいわくら)遺跡」である。
大量の銅剣と銅鐸の発見は、出雲の国の歴史を大きく見直す出来事として、広く報道された。こんな身近なところに、古代とのつながりがあるとは、なんともふしぎな感じがする。
といっても、現在私が預かっている寺がある場所は、江戸時代の初めごろに開墾されてできた砂地である。元はもう少し北になる島根半島側にあり、いまからちょうど五百年前の一五二二年、浄土真宗の寺院として開基されている。
それ以前は、当地の古刹である天台宗鰐淵寺(がくえんじ)の末寺であったことはわかっているが、それ以上詳しい資料は残されていない。
現在地に出てきたのが一六五二年で、今年はそれから三七〇年になる。銅剣が埋蔵されたであろうころは、現在地はまだ入海(いりうみ)のなかだった。
中世になると、斐伊川上流で「たたら製鉄」が行われた。以前、ジブリのアニメ映画『もののけ姫』のなかで描かれていたこともあって、広く知られるようになった。
これは砂鉄から鉄を作り出す技術で、隣の鳥取県西部でも行われていて、全国の鉄の八割を中国地方で生産していたこともあったほどだった。この手作業による製鉄は、現在では世界中を見渡しても、奥出雲地方にだけ残っているそうだ。
しかもこの技術は口伝(くでん)であり、だれでも簡単にできることではない。現在はこの技術を守っていくため、若い人たちが伝統の技の習得に取り組んでいるということだ。