第三章──ふるさと島根のふしぎ
出雲
たたら製鉄は、単に鉄を作るだけではなく、周辺で生きる人々の生活にも、大きな影響を与えてきた。大量の砂鉄を採取するためには、山を削らなければならない。その土砂を水路に流しこむ「鉄穴流(かんななが)し」という手法で砂鉄を採る。木炭の原料となる木もたくさん必要であり、鉄を運ぶための牛も必要になる。商いのためには「そろばん」が必需品となった。
山を削ったあとには棚田ができ、ブランド米「仁多米(にたまい)」ができた。いまでは「東の魚沼(うおぬま)、西の仁多米」と呼ばれるほどになっている。木炭のために育てた森林からはシイタケの原木が供給され、森林の跡地では蕎麦が栽培されるようになった。
こうして奥出雲地方は製鉄から生まれた農業地として「日本農業遺産」に認定され、さらに「世界農業遺産」の認定を目指している。いまではこの地域は、温泉・蕎麦・マイタケなどを含め、県内でも注目のスポットの一つになっている。
私が住む斐伊川下流も、たたら製鉄と無関係ではない。前に記したように、北山から現在地に移転したのは江戸時代初めのことだが、これは鉄穴流しで生じた大量の砂が堆積し、陸地を形成したからだった。
このように、出雲といえば神話か古代・中世の歴史と関係が深く、現代とは無縁な地域と思われがちだが、現在では魅力的なところが増えてきている。古さを逆手にとって、古民家や古い街並みを再生したり、テレワークなどの現代的な働き方から、新しい人間関係を作り出したりするプロジェクトも展開されている。
これまで出雲人は、保守的で閉鎖的だというイメージが強かった。しかし、地元でも積極的で行動的な人たちが多く活躍している。なかでも、高校生が地域活性化のため、地域住民と協働して街づくりに取り組んでいる姿を見ると、こんな時代になったのか、と心強く感じている。