黒き尉面
「唐土(もろこし)でも、我が国でも、祖先神は下半身を蛇で表します。蛇は神の象徴です。申楽でも『三輪』では蛇は神の化身と現されます。
ですから『鏡の間』で身を清め、面を付けます。場合によっては、『作り物』の中や、『葵上(あおいのうえ)』の様に、衣を被った状態の時もございます。
つまり、面を付ける所作を見せることは無いのです。ところが『翁』だけは異なります。
先ずは『面箱』が持ち出されます。翁役が直面(ひためん)(面を付けない)で謡います。そして後、箱から取り出した『白い尉面』を付けて、静かに天下泰平を願って舞うのです。そして、面を外し箱に収めて退場します。
続いて『三番叟(さんばそう)』役が直面で烈しく『揉(もみ)ノ段』を舞い、『黒い尉面』を付けて『鈴ノ段』を静かに舞い納めます。尉面を外して、鈴と共に箱に収めて退場するというものです」
「白い面と黒い面は、どの様に考えたら宜しいのでしょうか」
「白き尉面は、身分の高い貴人の様に思っています。神と言っても良いと思います。すなわち『天』。黒き尉面は身分低き民ではないでしょうか。
これすなわち『地』。それぞれが直面で舞った後、面を付ける事で、『天神』『地神』と化し、天地人の三極が一体となって、天下泰平を願っているような所作を行っています。
〝とうとうたらり〞と天からの水が地を潤し、三番叟が烈しく地を踏み鳴らすことで、陰陽の和合が生じます。そして穏やかな鈴の音に誘われて、実りが生じるのではないかと考えています」
「私は、炭が燃えて白い灰が付く様子を、『尉が付く』と言うのは、老人になって髪の毛の色が黒から白に変わる様に、炭の色が変わる事を言うものだと思っておりました。その灰を取る事を『尉を外す』と申します。只今お師匠様の話を伺い、『外す』という言葉に、もっと重い意味が有りそうだということを感じました」
「余談ついでに、もう一つ申し上げましょう。宗易殿は、『陰陽五行説』を聞かれたことはございますか」
「茶の湯の稽古の際、紹鷗様の教えに陰陽の和合という言葉が良く出てまいります。しかし浅学の身、よく分かりません」