睦月 一月

1 B

新年あけましておめでとうございます。謹んで新春のご祝詞を申し上げますと共に清々しい頌春の候、皆様ますますご盛栄のこととお慶び申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。先程の初日の出は、私の平安時代の思い出。

辺(わた)り照る日のつとめて、戸を押し開けたれば、

清らになり渡る山ぎは、いと煌めき明かりて、

朝日なす光の、華やかに散り敷きたらむやうに見ゆる、いとをかし。

あが心すがすがしうなるほどに、

◆山ぎはに 打ち眺むらる 御媛(おほんひめ) 清らなるは あが身ならばや 

両の手を打ち合はするに、まづいとど心清まる心地こそすれ。

 

【現代語訳】

辺り一面を照らす初日の光の朝に、お部屋の戸を押し開けますと、

美しく見え渡ります山ぎわの空に沿いまして、たいそう明るく煌めきほのめいています。

朝日の美しい光が明るく一面に散り敷いたように見えて、たいそう趣が深いのです。

自分の心までもが清々しくなります頃に、

 

◆この山際、山と空の境目の空の部分に眺める事ができた元旦のお媛様(お日様)のその清らかで麗しい様は、正に自分がそうなりたいと願うものです。

 

両手を打ち合わせますと、実に一層のこと心が美しくなる気持ちがします。

 

【参考】

・散り敷きたらむやうに見ゆる~「たらむ」は、「…しているように、ような」の意味で、存続の助動詞「たり」の未然形「たら」+意志推量の助動詞「む」の連体形「む」。この「む」は特別な婉曲用法で、連体修飾を和らげる役目を持つ。「やうに」は、名詞「やう=様子、ありさま」+断定の助動詞「なり」の連用形「に」のつながり。「見ゆる」は、下二段動詞「見ゆ」の連体形で、「見ゆる(様子は)」と補って考える。

◆あが身ならばや~「ならばや」は、断定の助動詞「なり」の未然形+願望の終助詞「ばや」。「ばや」は直前の活用語は未然形で接続し、自分の行為の実現を控えめに希望する意味を示す。

・心地こそすれ~「こそ…已然形」の形で、係助詞「こそ」の「係り結びの法則」により「こそ」に続く末尾の活用語は已然形になる決まりがある。この場合は、サ変動詞「す」の已然形「すれ」。