エレベーター前まで大林を見送ったあと、病室に戻ってみると、ベッドを仕切るカーテンが開いていた。亀ヶ谷さんが松葉杖で窓ぎわに立ち、外を眺めている。

「見てごらん。ここから伸びている道は二条通りっていうんだけれど、ほら、あそこ。ふたつ先の交差点は雨が降っていて水溜まりができているのに、交差点より手前は道が乾いている」

「あ、ほんとだ」

亀ヶ谷さんは、窓から見える街の景色についてざっと説明してくれた。

はるか右斜め前方に見える上富良野の山には、ドラマ「北の国から」で宮沢りえと田中邦衛が一緒に入った露天風呂があること。遠くに見える旭岳は、となりの病室の患者が事故を起こしたスキー場があること。右手前にある旭赤十字市場には彼の実家があること。春は薄い緑、夏は緑と青、秋は黄金色、冬は白といった具合に季節によって色があること。地元の人間だからこそわかることだった。

「そういえば見舞いに来てくれた友達が教えてくれたんですけど、髪にはビタミンがいいって。聞いたことあります?」

「うん、それは正しいよ。いくつかのビタミンには抗酸化作用が含まれていて……」

「抗酸化? なんですか、それ」

亀ヶ谷さんは、ベッドに腰をおろしながら言った。

「髪は酸化することによって抜ける」

「酸化……ですか」

「そう、酸化。だから、逆に抗酸化作用の強いもので、ある程度は脱毛が防げるらしい」

「なるほど。で、ビタミンにもいろいろあるけれど、どのビタミンがいいんですか?」

「ビタミンA、B、B、Eなんかが抗酸化作用が強いと言われているね。もちろん、ビタミンだけじゃだめだよ。髪に必要な栄養素は、ビタミン、ミネラル、アミノ酸らしい」

「ビタミン、ミネラル、アミノ酸」

「そう。ビタミン、ミネラル、アミノ酸。それらをバランスよく摂ればいい」

「うーん……難しいですね。どんな物を食べればいいんですか?」

「今は病院食で十分だよ。栄養士がきちんと考えてくれているから」

 

旭川での最後の夜が明ける頃、いつもよりも早く目を覚ました僕は、誰もいない一階の正面玄関で車椅子に座り、ぼんやりと外を眺めていた。

まだ薄暗い空を小鳥が数羽飛んでいくのが見えた。あたりは照明がついておらず、シンとしていて、自動販売機のブーンという音だけがかすかに響いている。しだいに明るくなっていく空をしばらく眺めたあと、僕は車椅子をUターンさせた。

横浜へ戻ることになった。北海道は、十月になると雪が降る可能性があるので、その前に地元の病院へ移っておくことになったのだ。