ここに、後の「相聞歌」に至る始源の「うた歌謡」の発生を見る。中流域に位置する万葉集で多数派を占めるのが相聞歌であることから分かる通り、うた歌謡を生む根源は、やはり人類共通の「相聞の感情」にあったのである。

また、1人称同士の発語からうた歌謡に至るルートは、個別的過ぎて、定型・音拍・洗練への道が狭く、考えにくい。うた歌謡の発生は、人称的には、「ボーダレス人称」を引き摺り、集団的相聞儀礼から考えるしかないと思われる。

なお、蛇足であるが、うた歌謡の始源を、祝詞への道・祝詞からの道に求める見方がある。祝詞に節をつけて歌われることはないことから、うた・歌謡における「祝詞(のりと)起源説」はあり得ない。祝詞には言霊信仰がせいぜいであり、それ以上の広がりや文化にまでは行き着かない。

また、国学者の「挽歌起源論」などは、比較文化学がなかった江戸時代の遺物であり、論外である。

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世界各地のいろんな部族・民族が、いろんな時期にいろんな情況の下、いわゆる「うた」を起ち上げている。

ただ、自然史のなかで自然に生まれるものではなく、集団的自己というべきものの内部から、触媒に似た何かにより、いわゆるビッグバンに似た空間が生まれることに端を発する。その集団初めての、ことばとして大きなまとまりのある感情移入と、ことばとしての型の獲得である。

とはいえ、先ず個別性の研究があり、次に共通項の探求である。日本列島に関して言えば、特殊事情ながら、いくつかの「ダメ出し」から開始しなければならない。

歌謡の兆しは、書き言葉に整理された記紀万葉の歌謡を分析したり、歌謡を「部品に分解」し痕跡を求めようとしたりしても、見つかるものではない。歌謡が「うたう」ことに始まる以上、「うたって書く」こととは別次元の、「うたうことに徹する」という原始の生の姿を求めずしては、決して得られない。

列島古代の歌謡の兆しを探る手法は、おそらく、「○○ ではない」「○○はありえない」を列挙する消去法を試みた先の、その真んなかあたりに見えてくるものがその正体であろう。

面倒でも列挙を試みてみよう。

【前回の記事を読む】“ことば”は、日常生活者の中から自然かつ平凡に生まれたものである