庶民目線で庶民史観というようなものを語ってみようじゃないか

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登山を始めたのは、40歳を過ぎてからである。血液検査の結果、医師から「このままでは絶対ダメですよ」と言われてからのことである。

登山からは、絶景・草花・鳥と鳴き声・山での出会い等数え切れない感動と思い出をもらってきた。

考えてみれば、登山ほど、その後の私のものの考え方を変えたものはない。その原因となったものは、山小屋で雨風をしのぐのに必要なのは畳一畳の広さであり、体が求めるのは今を動くための最小限の食べ物であるという体験であった。このことは、衣食住について必要にして十分とは何かを体に教えてくれ、私を変えるのに十分であった。

また、たった一歩という地味な動きでも、5、6時間続ければ頂上に立つことができるという経験も積めた。ものごとを中途で放棄するのを私から放逐できたのは、このお陰である。ただ、衣食住それぞれの文化は多彩であり、人生の贅沢も大いに結構である。

登山と山小屋の衣食住は、万一の場合そのレベルへ引き返せば生きられるという、贅沢からの「引き返しカード」を私に切ってくれたのである。

蛇足ながら、1943(昭和18)年生まれの私は、もう一枚の「引き返しカード」を持っている。敗戦後における未曾有にして最悪の食料事情のなか、貧しいとしか言いようのない食べ物で我々は食いつないできた。一匹の庶民としてそれで生きられる以上、その水準にまで引き返せばいい話である。この二枚の引き返しカードを持つ意味は大きい。

もしも豪邸に住み、華美・豪奢・贅沢な生活を旨としそれを自慢する芸能人やプロスポーツ選手がおられたら、また、それをむやみに報道したがる民放テレビディレクターがおられたら、慎ましやかな登山を体験されることを是非ともお勧めしたい。

さて、別のノートに、登山について別視点の書き留め文があったので、ここに載せることにしよう。登山は、アメリカナイズされた巨大娯楽施設で「遊ばせていただく」のとは真逆の、「自分次第で遊ぶ」というシンプルさを保っている。

地球という星に生まれた生き物として、外界をありのまま許容してともに生きつつ呼吸しているという実感が持てる。登山の一定時間、自分の心身以外、一切の借り物がない世界に生きているという稀有の実感である。私は、いかにも人工的でいかにも欲望資本主義的な巨大娯楽施設に、慣れたり親しんだりしようとは思わない。この頑迷さを貫くのも悪くない。