第二章 文学する&哲学するのは楽しい

学問的な話も時にはいいもの、少し付き合ってくれないか?

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補遺として、うた歌謡の発祥が、なぜ縄文時代や古墳時代でないのか、について簡単に触れておかなければならない。

日本列島が大陸から離れた後島国を形成する縄文時代は、温暖な気候の前期から後期にかけて人口の拡大を見るが、村落規模が大きくなり交易もあったに違いない。

また、はなしことばの倭(和)語は共同体としての必要語も男女の睦の会話も豊富になったと思われる。

しかし、耳飾り・勾玉・管玉・うるし等の出土品、埋葬法と墓地、呪物、木柱遺跡やストーンサークル、植林農法、交易状況等々、全史を見渡しても、うた歌謡を発祥する「何か」が、あるいは「片鱗」がどうしても見付からない。

独創的な火焔土器を見てもこの感覚がうた歌謡発祥の引き金になったとはとても想定できない。多少の余裕があっても、後期・晩期に寒冷化から人口の激減を見るに至っては、縄文通史として生存・生活と生殖以上の文化の萌芽が見付からないのである。

古墳時代は、権力者が権力を誇示する時代である。権力で入手した知識で歌を作成する能力を身につけて歌を発語するが、これがうた歌謡の始源などではあり得ない。

常軌を逸する規模の古墳上や周辺で発語・発信されるうた風(様)のものがあっても、それは政治的言辞であっても、うた歌謡ではない。

人間くさい文化という営みは深く多彩で面白い

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永年、社会学はあっても哲学がないという云われ方をされてきた米国にあっては、一部の者の手にかかると、地球にやって来る地球外生命体はいつも侵略者であり、悪の権化となる。