このシュールウイルスは、体内に休眠状態で潜伏し、時に脳内で発症する絶滅不能のウイルスである。

今もって、「シュールだ」とか「シュールってる」という言葉が世間会話を行き交う様で、ありきたり等身大とは無縁の「弾ける芸術衝動」は、永遠の起点である。

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私は、映画の良い鑑賞者ではない。

映画という表現形式において、数十分間以上にわたり、作者側が「一方的に一秒に至るまで時間支配をして進行」する形式が、不快で不愉快なのである。それが嫌なら見るなと言われそうであるが、これは少数派の意見だと承知の上での話である。

監督によっては、多元的価値観と解釈を画面に出したというが、それは、画面が終了してから振り返る際の可能性の問題である。目で見ることを主体にする映画という作品である以上、耳で聴く形式とは根本的に異なる。

映画館での映画画面は途中で止められない。そこは止めて、そこはもっと詳しく、もっと丁寧に、そこは私にも考えさせて、は一切許されない。

画面は専制的であり、鑑賞側の口出しや要望は叶えられない。一切お構いなしに、画面と時間は進行し最後の画面にまで至る。

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