次いで、うた歌謡史の立場で、総論として概観すると次のようになろう。弥生前期以降、稲作が広範囲に定着し、食べるだけに汲々としていた生活に、食料確保上の余裕が生まれる。他地域との交流・交易も生まれるなか、余裕と交流は、列島の住民に、今風に言えば、自分たちを全体のなかで位置付けて「客観視」する意識を生む。はなしことばのレベルも「生活必需品」からの飛躍の羽根を持ち始める。プレ歌垣・歌垣におけるはなしこと…
[連載]徒然な男のブルース オケラの戯言365話
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第21回】石田 五十六
日本列島のうた歌謡の最初の一滴はこうして、「ただの人」の口と頭から生まれた
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第20回】石田 五十六
「男女そのものの物々交換」としての「集団お見合い」!歌垣の源流は弥生時代にあった
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第19回】石田 五十六
『I LOVE YOU』系のことばだけでは歌謡にはならない?!「うた歌謡始源論」の糸口とは
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第18回】石田 五十六
アジア共通の「プレ歌垣的儀礼」とは?うた歌謡の始まりを探る
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第17回】石田 五十六
“ことば”は、日常生活者の中から自然かつ平凡に生まれたものである
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第16回】石田 五十六
万葉集のことばの欠片を顕微鏡でいくら丹念に眺めても答えは見つからない
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第15回】石田 五十六
SPRING HAS COME…「現在完了は日本にない」は本当か?
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第14回】石田 五十六
人間が考え出した神様の「ある意味でのうさん臭さと後ろめたさ」のワケ
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第13回】石田 五十六
有名文学をサラリと因数分解…眠られぬ夜は「因数括り出し遊び」で楽しむ
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第12回】石田 五十六
「悲しいことがあったからといって、他人に優しくする必要はない」
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第11回】石田 五十六
「少数派と悩む諸君、こんな偏屈人生も思えば結構楽しいではないか!」
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第10回】石田 五十六
マスコミが流すべきなのは「非日常」ではなく「庶民の日常」だ
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第9回】石田 五十六
墓が必要ない!? その理由とは…「生きた反面教師としての教材」
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第8回】石田 五十六
銀座のママの金言「人生の目的は生きること」の深い意味とは
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第7回】石田 五十六
正反対のものをまとめた不可思議な「法文学部」はなぜ存在する?
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第6回】石田 五十六
沢山の「生きてたなあ、良かったなあ」の思い…公文書に残らない“庶民史の宝”
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第5回】石田 五十六
「人生を投げ出す寸前で人を止めたもの、それは何か?」
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第4回】石田 五十六
「痕跡フェチ」のジャーナリストが、ややこしい理由
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第3回】石田 五十六
美しいという、どうしようもない「一般性」が私は好きだ。
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エッセイ『徒然な男のブルース オケラの戯言365話』【第2回】石田 五十六
嫉妬、妬み、嫉み、僻み、やっかみ…好きになれない日本語がある
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