第二章 文学する&哲学するのは楽しい
学問的な話も時にはいいもの、少し付き合ってくれないか?
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ホモサピエンス共通の原理になるかもしれないが、必要最小限の人数として若い男女5組が、どこかに漂着ないし移動し生殖を幾代か繰り返せば、部族形成に行き着くという興味深い数理理論上の学説がある。
私は、地球の各地、特に日本列島における「ことば発生の原風景」として、いつもこの理論が映し出してくれる姿を思い浮かべる。
この理論に立てば、学者や研究者に頼らず、「ことばの発生」について多くがスタートラインに立ち、想像の羽を広げ「あったであろう」ものに到着できそうだからである。
鳥類には種類毎に、鳥「語」がある。サルにはサル「語」、ライオンにはライオン「語」、哺乳類毎に哺乳類「語」がある。ホモサピエンスも、地域差があろうとホモサピエンス「語」がある。
ものごとの始まりには、必ず始まり方がある。後世、細かい時間軸でそれを固定はできないが、想像するのは不可能ではない。
「日本列島住民」の初めては、数組か数十組か数百組かは不明ながら、そこで生き残るだけで精一杯の原始の「社会」生活のなかで、感じ考え祈りの感情が発語されたものが、ことばの始源であると想像するしかないし、可能である。生活全般と生殖において必要不可欠の疎通手段として発せられる原発語であり生活発語の始まりである。
“ことば”は、権力や政治発生前の住民空間において、日常生活者のなかから自然かつ平凡に生まれたものであり、後のシャーマンや権力者により生まれたものではない。ことの前後を絶対に誤ってはならないのである。
ことばの始源の姿は、それにこじつけないと気が済まないシャーマニズム系の学者などで唱えられる「神秘的」でも「深秘的」なものでは断じてない。原始の生理語を神秘と呼ぶ必要はない。ことばは、ある意味ありきたりの生活の生理から生まれて次第に広がり、一方で意味の限定・固定化が進行してゆく。
なお、重要なことであるが、ホモサピエンスの誕生、ことばの発生、うた・歌謡の発生はそれぞれが別次元の問題であり、別の時間軸・空間軸で考察されなければならない。
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経済原論を学ぶことで、ホモサピエンス史は「食べて生殖する」ことからしか説明し得ないことに気付かされた。
食べることは、「経済する」ことであり、生殖と相俟って営みの歴史が紡がれることになる。「文学する」「哲学する」「宗教する」「法学する」等も、後発の所業に過ぎない。
私の「うた歌謡始源論」も、この経済的思考の延長上に生まれることになる。遡れば、経済を根底に据える泥臭い思考法も、それらを整理整頓する法学的や哲学的思考法も、学生時代4年の蓄積によるものである。
これは、旧制官立高商系の経済学部ならではの講義体形の賜で、経済原論必須はもちろん、社会に出て即効性のある法学も必須科目にしていることが、「視点と整理」を身につけるという点から、今から思えば幸いしたといえそうである。
うた歌謡始源の問題に話を戻せば、同じ関心を持ち続けた吉本隆明さんに足りなかったものがあるとすれば、根底に「経済を据えて考える視点」と、もっと徹底して「哲学的」であることの二点である。彼は、いきなり何の根拠も示さず、始源を弥生時代とした上でこの世を去った。