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日本列島に生まれ死んでいった人の数だけ、「うたの欠片(かけら)」は存在する。これは、信条・信念ではなく、事実に属することである。
「編集されたもの」としては最古の万葉集の冒頭を飾るのは、大王(天皇)、その一族そして取り巻きの歌群である。なかには、今となっては聞くに堪えない宮廷歌人たちの「よいしょ歌」も混じる(余談になるが、体制の強化・維持のプロパガンダの役目が不要となると、このようなものは自然消滅する)。
さて、多くの万葉学者・万葉研究者によって、これらが日本語の歌の原点とか、日本の詩の始発点であるといった言われ方をする。
時代区分でいえば、万葉集とその前後の歴史および周辺の研究で、こんな安易・安直な断定をしていいものか、私にはずっと国文学者の怠惰・怠慢に思えてきたが、私の側の思考の怠慢であろうか。
間違いなく言えそうなのは、アジア大陸から分離しての列島の物理的誕生、住民の列島への居住開始、倭(和)語という地域ことばの発生を経て、うた・歌謡の発生まで、この列島で話されていたであろう倭(和)語による「始源のうた・歌謡」は、万葉集研究・記紀分析で「おままごと」をするのではなく、別の方法で辿らねばならないということである。
日本列島における「うた・歌謡」史という川の流れを辿れば、万葉集の大半の歌は、「中流域の歌群」であり、始源の歌では決してないからである。
漢書地理志によれば、楽浪海中に百余国の部族国家があり、列島の歴史はさらに遥か古代に遡る。「うた・歌謡」の始源を探すのは、倭語の発生と「うたの欠片(かけら)」「うた歌謡の発祥」まで、長い後方への旅である。
しかも、遺跡や出土品を傍証としつつ、源流の最初の一滴へ向かう「想像の旅」でもある。