第二章 文学する&哲学するのは楽しい
学問的な話も時にはいいもの、少し付き合ってくれないか?
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うた歌謡の始源を考える前に、他方で、人称の意識・認識の問題と本能・生殖を脱する性の問題も重要なキーワードになるように思われる。
ホモサピエンスの原始の人称感覚が、人称として意識され成立・確立するのは、他と区分する私・個人としての1人称単数の私から発したのではない(1人称単数の後発性)。
生活をともにし助け合う相手としての、仲間・私たちとしての2人称、それすら意識しない、漠然とした2人称・1人称未分離・未分割状態の単複ないまぜの人称感覚から発しているはずである。また、いわゆる他者としての3人称からの発生でもない。
また、うた歌謡は、避けられないあるいはのっぴきならない雌雄の関係性の生理として、性が発する感情表現であり、目的(感情の表現)と手段(表現形式)の一体化により生まれる。
アジア地域に広く存在した「歌垣(かがい)」あるいは「プレ歌垣」的原形に類する儀礼は、部族存続のための必須の行事であったはずであり、何らかのことばの交信が共有されていたはずである。この儀礼の広域性については、未だ一部に習俗として残っていることからも、容易に想定できる。
うた歌謡発祥に関しては、人称意識と性の問題を包含しており、「プレ歌垣的原形」にまで想像が及べば、日本列島を含む、少なくともアジア地域におけるうた歌謡始源には辿り着けるように思われる。
当時の経済的情況や要因を除けば、日本列島におけるうた歌謡の「プレ歌垣的儀礼起源論」は、検討に値する。
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アジア共通ともいえる「プレ歌垣的儀礼」とはどんなものなのか? それらに共通・通底するうた歌謡の始源の姿とはどんなものだったのか?
遥か太古、うた歌謡は、権力とは無縁の(今でいう)庶民・大衆の群れのはなしことばの発語からスタートしているとしか、想像できない。日本列島でいえば、列島人の地域語としての倭(和)語の発生、「群れことば」としてのうた歌謡の巣立ち、さらには1人称うたへの発展である。
日本列島の歌垣(かがい)は、フリーセックス・性の乱脈等の興味本位で語られることも多いが、それでは、うた・歌謡の始源は辿れない。それは、近親婚から脱し、種の保存・部族集団の継続を図るために必要不可欠な儀礼であったことを、アジア古代史として正しく位置付けることが必要である。
さて、男女が列を作り集団的行為として、相互にことばの掛け合いや問答をする光景は、古代といえども容易に想像できる。この掛け合いによるはなしことばの何代かの訓練を経て、ことばはより定型化し洗練される一方で、より高い音拍を持つに至ったはずである。