第二章 文学する&哲学するのは楽しい

学問的な話も時にはいいもの、少し付き合ってくれないか?

76

「SPRING HAS COME」英語文法を習う場合の代表的例文であり、日本にはない「現在完了という時制」であると教えられる。はたしてそうであろうか。

四季の国の住民は、季節の変わり目ごとに、現在完了の気配を、教えられるまでもなく繊細な感覚でいわば生理的に、感得・理解しているのではないか。しかも、日常的にである。

気配感得の文字になっているものでも、古今集以降、枚挙に暇ない。正しく教え直す必要がありそうである。

日本人に欠落しているとすれば、「過去完了」の感覚であろう。

77

植物は、 (ふるい)菅から養分を吸い上げるという生の営みにおいて、夫々の音を持つという。春先、(ぶな)の幹に耳を当てると、力強い命の鼓動が聞こえる。縄文杉、栃や楠の大木、砂糖楓もきっとその種特有の鼓動があるに違いない。もし、細密な音の収音装置があって夫々の幹に取り付ければ、いつの日か、橅の森の合唱を始め樹木たちの合唱が聴けるのかもしれない。

また、「光合成の工場」の音にも違いがあるという。楽しいではないか。

同じ植物間には、合図や会話に類するものが存在する、植物学者のそんな地道な研究が日の目を見る日が近いことに期待したい。

動物・植物に限らず、この星の生きとし生けるもの全部に会話があり感知できるとしたら……人間の唯我独尊ではなく、本当はもっともっとお互いフレンドリーになれるはずだ。