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人という生き物は、プラス値の貯金は下手なのに、マイナス値はすぐに溜め込んでしまう。鄙びた山宿の温泉に浸かると、溜め込んでしまった様々の「マイナス値の膨大な総計」を一旦はゼロにリセットしてもらえるように思える。今日リセットして、明日からの「ゼロ出発」なら自分にも何とかなる、と思える。ささやかな楽しみであることに間違いはない。

しかしなあ、「ひたすら働いてゼロリセットする」のを繰り返す生活なんて、こんなささやかなことで人生を頑張れるなんて、東京や大都会に住む膨大な数の庶民たちは、思えば悲しいよなあ。人の役割分担と言えばそれまでであるが、日本の温泉はこんなリセットのために使われる、そこに職が生まれ人が働く……。日常は、どこか残酷である。

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庶民の私にすれば、言葉も芸術も、所詮は「虚栄」であり、「一人よがり」「自分勝手」である。そんなものに、いちいち付き合う必要はさらさらない。

世の中に自称を含め多く存在する物書きたちの、頭を去来するであろうアレコレなど、全く関係なく世界はそして日々は過ぎて行き回ってゆく……。

この事実に、「記し癖」のある人間はもっと自覚的でなければならない。

言葉の破片など、ゴミ箱直行で一向に構わないのである。私の長年のメモ書き行為も、例外ではない。ただ、長く人間をやっていると、その辺の誰かの一言に、はっとさせられる場面に出くわす。玉も石ころもともども、生きた証の痕跡であることには偽りはなく、私を含め人は、玉ではない石ころの呟きも時に必要とするらしい。

このように、人の世は厄介でもあるし面白い。もし一人にでも必要とされることがあるかもしれないなら、取り敢えず駄文メモも記し続け、捨てずに残すことにするか。最後は火葬の焚き付けにはなりそうである。