一度、富士の樹海で洞穴探検をしたあと、顧問の教授も交えて樹海の中の道でお弁当を食べたことがある。すると、森の奥から地元の消防団らしき人たちが自死した人の遺体を運んできて我々の近くに置き、休憩を始めた。
青いビニールシートで覆われていたものの、遺体の前でお弁当を食べるのは初めてだった。樹海は本当に自殺の名所なんだと思い知らされた出来事だった。
日本一の頂へ
初めの頃こそなかなか友人もできず孤独感にさいなまれたこともあった大学生活だったが、徐々に友人もでき始め、部活に入ったこともあって、大学生活はとても楽しいものになっていた。
そんな中、友人がバイトの話を持ってきた。聞けば、その友人は別の人と富士山の八合目の山小屋でアルバイトをする予定だったが、その人がキャンセルしてきたので、自分もやめる。そのかわり、山小屋に悪いので、誰か行ける人を一人でもいいから探しているのだという。
「日給九千円だよ」と友人が言うので、「行く」と私は即答した。日本一の富士山に行ける上に、そんな大金まで手に入るのだ。断る理由はない。一人でも構わない。
入学して初めての、一九九三年、夏休みのことである。不安はあった。自然は大好きだが、体力にはそこまでの自信はない。中学、高校と文化系の部活だったし、登山の経験も、たくさんあるわけではない。
つまり、初めての本格的な登山がいきなり富士山なわけである。しかし、いきなり山頂に行くのではなく、八合目に働きに行くのだ。まあ、大丈夫だろうと、なんの下調べをするでもなく、トレーニングもせず、荷物の準備だけを始めた。
その当時、東京の国立には親戚のおばさんが住んでいて、東京に行った際には泊まらせてもらったり、一人暮らしの私を何かと気に掛けてくれていた。
富士山に二週間バイトに行くことを告げると、良いバッグがあるよ、と登山用のバッグを山梨まで送ってくれた。それは、おじさんが使用していたというキスリングザックで、登山用具自体見たこともない私はその容量に驚いた。
かなり使い込まれて年季が入っているが、たくさんの荷物が入る。おかげで二週間の生活に必要なものを余裕で入れることができ、準備万端富士へと出発した。