第一章 阿梅という少女
十二
関白秀次さまの母御のもとで子を産むことがなかったのは、そこにも探索の目が張り付いていたからかも知れない。場所にそぐわぬ赤子の泣き声が漏れて、それが誰かの耳に入るのを怖れたのではないだろうか。
匿われる側も匿う方も心安らぐ日はなかったことであろう。この先も風に怯え物音に縮み上がる日々を、何年も何年も送らなければならないのだ。
関白秀次さまは幼いころから最期に至るまで、太閤殿下にがっしりと鷲掴みされた一生だったようだ。人質に出されたり、養子縁組をさせられたりと散々利用されたが、それでも太閤殿下の後継者ではあった。それが暗転したのは太閤殿下にお子が産まれたためであろう。
それから二年も経つか経たぬかに、関白秀次さまは謀反人とされ、高野山に追いやられた挙げ句切腹させられて、三条河原に首をさらされた。
秀次さまは身丈に合わぬ関白という官職を授けられて、どんなお気持ちで日々を過ごされたのだろう。権勢を欲しいままにできて、その時々で満足だったのではないだろうか。
その母御の瑞龍院日秀尼も今は知らず、かつては弟の力によるとは言え、せがれが大名になり関白にまで上り詰めて、鼻を高くしたこともあったやも知れぬ。弟の出世が嬉しく誇らしかった日もあったろう。こんな想像をするとき、わたくしは意地の悪い目をしているかも知れない。
「二人は左衛門佐どののお子であり、今では豊臣家の遺されたお血筋でもありますね」
「そういうことよ。千姫さまの命乞いで、秀頼さまの姫は一命を助けられたが、生涯を鎌倉の東慶寺で尼として生きることになる。豊家の血を継ぐ男子は、今やこの赤子だけだ」
残党狩りの終息のお布令が出されてから早や半年。その赤子を担いで、事を起こそうとする者がいるとは思えぬが、この事情が表沙汰になったなら、幕府はどのように沙汰するのであろう。だが今幕府は、浪人狩りに飽いたように、監視の方針を切り替えているように思われる。関心は大名家の動静に絞られているようだ。
年明け早々に、伊達さまは謀反の噂を流された。駿府城の公方さまのもとにまで足を運ばれて、事態の収束をはかられたのだ。大八君のことが露見すれば、どれほどの影響があるか想像するだに恐ろしい。