第一章 阿梅という少女
十三
お殿さまが今生きておられれば、何を語られることだろう。この先、もう戦はないのだろうか。伊達陸奥守さまは天下を狙うお気持ちを捨てられたのだろうか。ふと重綱さまの言葉が耳の奥に甦った。
左衛門佐どのの戦法は将棋型よのう、公方さまのお首一つを狙ってまっしぐらに突き進んできた、と。ひとから聞く左衛門佐どののお人柄と重ねて、いかにもと思っていたが、実はそこにひそかな目論見があったのではないか、と思いめぐらすようになった。
落城の前日、真田勢は濃霧にはばまれ、後藤又兵衛、薄田隼人勢との約束の時間に間に合わず、左衛門佐どのは同盟軍の二人の将を失ったとか。討ったのは重綱さま。
大坂城が落ちた日、真田勢は猛り立つ手負いの獅子の群れだったという。押し寄せる炎のような赤揃いの軍勢に、陸奥守さまは鉄炮隊を潮が引くように道明寺(どうみょうじ)から誉田(こんだ)まで大きく後退させたという。なぜ撃たなかったのであろう。
なぜだろう。伊達軍は早朝から始まった戦で、大勢の首級を挙げ、兵たちは疲労困憊していたそうだ。陸奥守の戦上手、戦機を読む目の確かさよ、と武将たちはその後退について誉めそやしたそうだが、伊達陸奥守さまのお心の底に何があったのだろう、と想像したくなる。
陸奥守さまが鉄炮隊を後退させたほんとうの理由は、ただただ左衛門佐どのと干戈(かんか)を交えたくなかったからだ、とわたくしは心ひそかに考えている。
そしてもう一つ。左衛門佐どのだけに通じる、伊達陸奥守さまからの声なき覚悟の表明が込められていた、と思えてならない。
決戦の日のまさにこの時、大八君を保護する暗黙の了解が、お二人の間に成り立ったのではなかったか、とわたくしは想像するのだ。
左衛門佐どのはもう早い時期に、豊臣方の武将にも、何よりも秀頼さまの戦に対するお心構えに落胆なさったようだったとか。負け戦になることを誰よりも早く感じ取っておいでだったのだろう。あの戦が終わった後まで、生き残るおつもりはなかったのだと、噂する声があったとか。
重綱さまが腕組みを解いてぽつりと呟くように言われた。戦の世は終わったな、と。重綱さまのお顔が心なしか寂しげに見えた。昨年お殿さまを見送って、半年後の元和二(一六一六)年四月十七日に公方さまが亡くなられた。
「お役目を終えられたのよのう。神仏のご加護で定命(じょうみょう)を授けられたものであろう。大坂の陣の翌年まで上手い具合に、よう生き延びられたのう! 上手いのう!」
重綱さまは感に堪えぬように、何度同じことをつぶやかれたことだろう。わたくしは膝に手を置いて、そのたびごとに大きくうなずいた。ほんとうになんと見事なお最期であろう。