北満のシリウス
八月七日 午後一時十五分頃 ハルビン ハルビン街路上
その頃、ハルビン街をナツとアキオが診療所に向かって全力で走っていた。タッタッタッ、石畳の路上を駆ける二人の足音が、リズムよく響き、他の通行人達の耳に心地よく入ってくる。
とは言え、前を走るナツは余裕の表情であるものの、後ろから追いかけてくるアキオは、息が切れそうで足元もフラフラだ。道を歩いているロシア人とすれ違ったり、追い抜いたりする度に、ナツが溌剌とした顔、大きな声で挨拶をする。小鳥がさえずるような声の少女だ。
「こんにちは! ユリエヴィッチさん!」
「ああ! ナッちゃん、こんにちは」
「お元気ですか? ラスレコヴァさん!」
「元気よ! ナッちゃんも相変わらず元気ね」
アキオが、うんざりした顔で走るのをやめ、トボトボと歩き始めた。
「お姉ちゃん! 速すぎるよぉ。もう疲れた!」
ナツも仕方なく走るのをやめ、アキオのところまで歩いて戻って来た。
「だらしないわねえ。男でしょ? アキオ。まだ、五百メートルも走ってないんだから」
「男も女も関係ないよ。だって、僕、まだ、子供だよ? 姉ちゃんの方が、体だってずっと大きいんだから勝てるわけないじゃん」
そう言って、アキオは、しゃがみ込んだ。
ナツは、その弟の姿を見て、ハーッと深く溜め息をついた。
「あ~あ! 青島家ただ一人の男子がこれじゃねえ……」
「だからあ、僕は、まだ子供なんだってばあ」
遠くから響いて来る鐘の音が、二人のやりとりを見て、クスクスと笑っているようだった。